きなこの生き方の模索日記

40代独身女子 会社を辞めて楽な生き方を模索していきます

アルコール依存症だった父①

私の父は幼少の頃から吃音(どもり)だったそうです。そのため、話そうとすると真似されたり笑われたりするため、父は若い頃からお酒を飲んでいました。父曰く、「お酒を飲むとスムーズに話せる」とのことでした。

私が物心ついた頃には、すでに父はアルコール依存症(当時はアル中と言っていました)だったと思います。

父はお酒を飲まないと大人しいのですが、お酒を飲むと豹変しました。暴力を振るうことはありませんでしたが(母の頭を殴ったことはあったようです)、母に対して耳を覆いたくなるような暴言を浴びせ、それを止めようとする姉や私に対しても暴言を浴びせて来ました。両親は喧嘩するか無視するかのどちらかで、父と母が普通に会話をしているというのを見たことがありませんでした。

小学3年生の頃、友達が「家族と旅行に行ってきてん」というのを聞いて、

(え?旅行ってサザエさんとかテレビの世界の話じゃないの?)と衝撃を受けました。

 

私は父のことが嫌いでした。そんな父に私は似ていました。内向的で緊張すると私もどもってしまうのです。人と話すのが苦痛でした。

社会に出てもそれらは治らなかったです。父のこともお酒のことも憎んでいたのに、「私もお酒を飲んだらスムーズに話せて楽になるのかな?」と思い、一人でワイン1本飲みました。楽になるどころか、気持ち悪くなるだけでした。それ以来私はお酒はお付き合い程度しか飲んでません。

 

父は退職後、さらにお酒の量が増えました。当時の父の趣味は競馬くらいだったので、やることがなかったのでしょうね。朝からお酒を飲むようになり、母に対する暴言はさらにひどくなり、家庭内だけではなくご近所の方にも暴言を吐くようになりました。

それまでも何回もお酒をやめるように訴えてきましたが、父は家族の言うことは全く聞きません。これ以上お酒を飲んだら、ご近所さんももちろんですが、母が壊れる恐怖もありました。

母と姉と話し合いし、「アルコール専門病院に連れて行こう」となりました。アルコール専門病院に電話をしたら、受診するにあたり①お酒を飲んで行かない ②お酒をやめることに本人が同意していること。と言われました。家族からお酒をやめるように何度も話しても父には通じません。病院に事前に、父はご近所にも迷惑をかけている状態で、今後エスカレートする可能性があることを伝え、当日もお酒を飲んでいく可能性があることと、本人にはアルコール専門病院に行くということは言わずに受診することに対しての了解をもらいました。

父には「すごく顔色悪いから病院で診てもらおう」言って、母と姉と私の3人がかりでだましだまし連れていきました。お酒をやめる気のない父を、お酒をやめさすためにだましてアルコール専門病院に連れて行ったので、一か八かの賭けでした。お酒をやめるか、激怒してさらにお酒を飲むか。