きなこの生き方の模索日記

40代独身女子 会社を辞めて楽な生き方を模索していきます

「生きるぼくら」を読んで

・またまた母からおすすめの本

「この本も良かったで〜」と母からすすめられたのが、原田マハさんの「生きるぼくら」。

原田マハさんの本は何冊か読んだことがあり、私の好きな作家さんです。

母が「あんた次はお米作りたくなるんとちがう?」と。

「え?お米作りの本?」

 

・高校生の頃のいじめ、高校中退して働くが続かず、引きこもり生活の24歳男子

母親と引きこもりの息子「人生」という名の男の子との二人暮らしの状態から話は始まります。

母親がパートに行く前に、人生の食べるご飯(コンビニ弁当やカップ麺やおにぎり)を置いていく。人生はそれを食べ、1日携帯やパソコンを見て過ごしている。

ある日、人生が起きたら母親の置き手紙。

「人生へ 私はもうだめです。疲れ果ててしまいました。しばらく休みたいので、どこかへ行きます。(略)当面のお金も置いていきます。あなたはあなたの人生を、これからも好きなように生きていってください 母より」

置き手紙と一緒に10枚の年賀状。追伸 「この中の誰かに連絡をとってみてください。あなたのことを助けてくれる人が、ひょっとしているかもしれないから。」

途方にくれる人生。10枚の年賀状の中から、蓼科の祖母の年賀状を見つける。

「最近、どう?がんばりすぎてない?人生は、どうしていますか。彼らしい「人生」を送っているかしら。私は余命数ヶ月、残された日々を生き生きと暮らしていこうと思っています。

あなたと人生に、もう一度会えますように。私の命があるうちに。」

人生は中学生の頃に両親が離婚するまでの間、毎年家族で蓼科に行くのが楽しみだった。

おばあちゃんのことも大好きだった。蓼科の祖母は父方だったので、両親が離婚してからは蓼科に行くことはなかった。

「余命数ヶ月、、、」

人生は母が置いて行った5万円を手に、蓼科に向かいます。

 

・会いにいった祖母は、人生のことがわからない

電話もない祖母の家に行くのに、蓼科駅の近くの食堂が祖母のことをよく知っており、車で祖母の家まで送ってくれる。

久しぶりに会った祖母は、人生のことがわからない。

祖母の家には、見知らぬ女の子もいてる。人生は混乱する。

祖母の家に案内してくれた人から、「去年の秋頃から認知症になっている」と言われる。

祖母は人生のことを忘れているが、「どうぞ中へ」と声をかけてくれる。

祖母は人のことは忘れているが、それ以外のことはすべて自分でやっており、

古民家に住み、田畑を耕し、自給自足の生活を営んでいた。

 

・祖母、見知らぬ女の子、人生の3人の生活が始まる

見知らぬ女の子、年賀状の謎もあり、どんどん読むペースが早くなりました。

(女の子(つぼみ)と、年賀状の謎は、ネタバレになるので言わないでおきますね)。

蓼科の景色の描写がすごくいいんです。

「人生の目の前に現れたもの。それは、静まり返った小さな湖だった。冬の日差しを照り返し、近くの小高い山の姿を逆さまに映して、静かに広がる湖面。清潔な青空が、そのまま大地に下りてきたかのようだ。ときおり吹きすぎる風に揺れる木立、かすかにざわめくさざ波。」

 

祖母が作ってくれるおいしいご飯。祖母はお米も自分で作っていましたが、祖母から

「お米作り、今年はもうできないかもしれない。」と。

祖母のお米作りは、農薬や機械を使わず、ほとんど全て人の手で作るもの。

祖母の口から語られる「お米の一生」を聞くと、お米の作り方、成長の過程など、まるで人間の一生のように語られます。

人生とつぼみは、「お米作りを自分たちでやる」と宣言します。

 

・蓼科の人たちの協力も得て、「自然のお米作り」を行う

人生は日中は介護施設の掃除の仕事を行い、「自然のお米作り」もやっていきます。

「自然のお米作り」は人生が思っている以上に過酷なものでしたが、人生は

「この暮らしがたまらなく好きになっていった」

「生まれて初めて自分で作ったお米。そのご飯を口にした瞬間、人生の中で、何かがことんと音を立てて動いた。泣けるほどうまいご飯。おばあちゃん、つぼみ、蓼科でお世話になった人々、そして母に食べてもらいたい。」

 

・蓼科に行きたくなりました

自然の描写が美しく書かれています。

本の中で書かれている湖は「御射鹿池」です。実際に見てみたいなあ。

お米作りのことも丁寧に書かれており、こんな過程を経てやっと食べることができるのね、とお米のありがたさ、家族のありがたさが身に染みます。

「いただきます」も以前より心を込めて言います。