アルコール依存症だった父③
父は毎日きっちりアルコール専門病院に通い、お酒を全く飲まなくなりました。
吃音のため人前で話すことが苦手だった父が、病院でのミーティングにも参加するようになりました。(ミーティングというのは、「断酒」は一人では行うことが難しいため、参加している方達が自分達の思いを話し、お互い否定せずひたすら話を聞き、みんなでお酒をやめようとというものだと思います)父にとっては、ミーティングや断酒会に参加することが、「自分の仕事、使命」のように思っていたのかもしれません。
心配だった離脱症状については、本人はイライラすることもあったようですが、家族に当たり散らすということはありませんでした。
それから約10年が経ちますが、スリップしたことは一度もなく、現在に至っています。
もともとの父の性格が本当に真面目で、「繊細さん」なところあったと思います。働いている時は職場でも浮いていたと思います。友人はいません。
そんな父に先生が真正面から向き合って父に話してくれたことが、嬉しかったと思います。父は先生と酒をやめる約束をし、握手もした、ということが、真面目な父がお酒をやめることに本気で取り組んだのかなと、、、。
父曰く「お酒をやめたら体の調子もいいし、何より飯がうまいんや!」と言って、以前より食欲が増え、体重が増えて来ています。それはそれで心配ですが、本人なりに健康にも気をつけており、おやつに納豆、チーズ、アーモンドを食べています。
お酒をやめていいこと尽くめのようですが、そうとは言い切れないところもありました。
今までは暴言を吐いても「お酒を飲んでいるから」と思っていましたが、お酒を飲なくなった今でも父の意に沿わないことがあると、腹立つ言い方をするときがあり、「お酒のせいだけではなくもともと性格歪んでたんやわ」と思う時もあります(笑)。
それでもお酒を飲んでいる時のあの地獄のような日々からは解放されました。
本当にお酒をやめてくれて感謝してます。欲を言えば、家族だけで抱え込まず、もっと早くにアルコール専門病院に相談すればよかったと思います。
気がつけば父は84歳。長年肉体労働の仕事をしていたため腰部脊柱管狭窄症が悪化し、現在歩くことはできますが、2、30mほど歩くと腰が痛くなり休憩しないと歩けない状態です。
(人間関係を構築することが難しい父にとって、働くということは困難だったと思いますが、真面目に働き私たち家族を養ってくれたことは、本当に感謝しています。)
ここまで脊柱管狭窄症が悪化するまでに、家族一緒に旅行でも行けばよかったと少し後悔があります。(今の父に旅行に誘っても、「腰痛いから行かん!」と言います)
今からできることから少しずつ、昔持つことができなかった家族の時間を取り戻せたらと思います。